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大腸がんステージ3a・33歳での告知

大腸がんに侵された人の体験談を読むことで、参考になることや見えてくるものがあるかもしれません。ここでは、33歳でS状結腸の大腸がんと告知され、戦った女性の体験談を掲載します。

「便潜血検査:陽性 再検査・要」

32歳のときの健康診断で、「便潜血検査:陽性 再検査・要」と書いてありました。健康そのもの、病気らしい病気もしてこなかったので、気にすることないだろうと放置してしまいました。

私はお酒も週1回飲むか飲まないか、家では絶対に飲みません。タバコも吸わない、運動も適度なランニングをしていたくらいだったので、それこそ「大腸がん」なんて想像もしてなかったんです。家族にも大腸がんにかかった人がいませんでしたし…。

なんせ30代でしたし。

再検査の指示を無視して半年後、33歳になって少したったころ、トイレで大をしたあとに拭くと血が混じるようになったんです。その時も健康診断のことなんて正直まったく思い出しませんでした。「痔かな」と思って、そのうち治るだろうと、また放置していました。

ところが、出血は良くなるどころか、悪化する一方。そのうち日課のランニング中に貧血を起こすことも出てきました。そこでやっと「これは何か病気かも」と思って、有給をとって病院に行くことにしました。

がんの告知にもどこか他人事だった

大腸内視鏡検査を受け、自分の大腸の映像を…率直に言うと「汚い」と思いました。

これは普通の状態ではないんだなというのは、なんとなく伝わってきました。検査が終わって、診察室に向かうと、先ほどの先生が「おそらく悪性のがんです。病理検査(※1)が必要です。入院もするので、別の病院を紹介しますが、希望はありますか?」と言われたので、「とくにありません」と答えました。

意外と冷静な自分にビックリしました。現実味がないというか、「放置しなきゃ良かったなあ」「会社にはなんて言おう」と思ったくらいでした。

親のショックで現実と知る

とりあえず、ちょうど夏休みに入る頃だったので、休みを使って検査をすることになりました。

CTや超音波、「こんなに必要なのかな?」と思うくらいの検査をして、3日ほど入院し、結果が出たのは5日後の夏休み明けでした。

担当医からは「S状結腸にがんがあります。なるべく早く手術をして取りましょう」と言われました。続けて、「腹腔鏡手術になるので、入院は10日〜2週間程度、うまくいけばその後数週間で仕事に復帰もできると思います」と言われたので、ショックよりも「意外と早く復帰できるんだなあ」という気持ちが大きかったです。

ここでも、まだ現実感が湧かなかったんですね。

独身なので、まず田舎…といっても隣の県なのですが、親に電話をしました。母親が出たので、「あのね、私がんだって。手術が必要みたい」と話したら、母が黙ってしまって…。その後「大丈夫なの?」という声が若干震えていたんです。そこで初めて現実を突きつけられた感じがしました。

そうか、がんと言うと、こうやってショックを受けてしまうものなんだと。

翌日には、入院中の面倒などを見るために、母が出てきてくれました。ありがたかったですね。思うことは色々あったと思うのですが、明るく、今まで通りに接してくれたので、それで救われたところも大きかったと思います。

うちは両親がふたりで店をやっているので、母親の手が2週間もいないのは痛手のはずなのですが、父も「なあに、母さんがいなくても大丈夫!」と言ってくれ、本当に親には感謝をしています。

会社には直属の上司に事情を説明し、1ヶ月と2週間、お休みをもらうことに。この年の有給では足りなかったのですが、入社して以来、ほとんど有給を使っていなかったので、上司の計らいと、会社の温情で有給扱いにしてもらうことができました。あまり仲の良くない同僚ですら、「早く治しなね」と声をかけてくれましたが、それにも「ああ、私はがんなんだなあ」と実感させられました。周囲の反応に、ありがたい気持ちと、複雑な気持ちがないまぜでしたね。

思ったより楽だった手術とつらかった抗がん剤

腹腔鏡手術の日には、店を休んで父もきてくれました。4時間程度の手術で、ステージ3aと評価されました。

入院中は絶対に連絡しないと上司が言ってくれたように、仕事のメールや連絡は一切来ませんでした。おかげで暇で、ずっとスマホをいじってました。友だちがインスタでご飯の写真をアップしたりしてるのを「いいなあ」って思ってみてました。

食事が味気ないのは覚悟していたんですが、ケーキとかの甘いものが好きだったので辛かったですね。忙しさにかまけて、外食三昧の生活だったので、これから自炊をしないと、とぼんやり思っていました。

ここまでは全く仕事復帰に対する心配などはなかったのですが、抗がん剤治療が始まってからが本当に辛かったです。

UFT(※2)による、全6クールの治療が、仕事復帰の少し前に開始になりました。1日3回、4週間毎日UFTを服用し、1週間休薬期間を設けるのが1クール。これを×6行うのです。

これがとにかくだるいんです。倦怠感という言葉では済まされないような、今まで感じたことのないだるさがありました。起き上がれないほどのだるさ、下痢、口内炎…。食欲もなく、1日中寝ているだけの日もありました。あまりに何もできないので、母に、投薬期間中は来てもらっていたことも…。

「こんなことで仕事復帰できる?」

という気持ちが芽生えてきました。心配した母が、代替医療のサプリメントを購入してくれたり、いいと言われる鍼灸に体調が良い日に連れてってくれたりと、色々動いてくれました。

母はあまり能動的な方ではない、というイメージだったのですが、33歳にして、「親にもこんな一面もあるんだ」と思いました。がんになって発見したことですね。

残業できない罪悪感を乗り越えて

そのおかげもあったのか、徐々に体も楽になり、仕事復帰を迎えました。もともと内勤でしたので、部署異動などはありませんでしたが、最初の3ヶ月は時短勤務になりました。時短勤務から通常業務に切り替わっても、残業はしないように配慮してもらえました。先に帰るのが心苦しいと思うのは、どうしても切り替えられず、ずっと罪悪感みたいなものを抱えていましたね…。「気にしないでいいよ」「帰っていいよ」と言われるたびに、胸がギュっとなっていました。

「内心どう思ってるんだろう」と、仲のいい同僚に聞いたこともあり、その時は「うちらだっていつそうなるかわからないんだから、気にすんな」と言ってくれましたが、「そりゃそう言うしかないよね」とひねくれた考え方をしていました。

復帰から5ヶ月ほどたったころ、どうにも落ち込んでいたところ、上司に「今まで有給も取らないで働いてたんだから、ちょっとした休息だと思え」「あいつらは毎年コミケやらフジロックの時に休むじゃないか。それが積もり積もったら、このくらいの期間だろうよ(笑)」と言われたことで、なんとなく「そうか、いいのか」という気持ちを少し持つことができました。救われましたね。

この時期に抗がん剤治療も終わり、それから3年半が経過しています。今は半年に一度検診に行っていて、幸い再発や転移はしていません。

治療費は全部で150万ほどでしょうか。がん特約などには入っていなかったので、貯金が吹っ飛んでしまいました(笑)。体力は減ったと思いますが、ランニングも続けています。食事には気を使っていますね。次に健康診断で再検査項目があったら、急いで行くことにします。

大腸がんと戦うのに大切なのは、前向きな気持ちです。抗がん剤治療が本当に辛くて、やめたいなと思ったときもあったのですが、母がとにかくがんにいい食べ物とか、サプリとか鍼灸とか色々持ってきてくれて、私以上に真剣にがんに向きあっているのをみたら、がんばらないとダメだなと思えたんです。それからは治ったら何食べよう、どこに行こう、そういうことを考えていました。母が持ってきてくれた食べ物やサプリが役立ったのかはわかりませんが(笑)、その気持ちが私を元気にしてくれたんだと思います。

※1 病理検査とは…がんかどうかの確定診断、病変の範囲や深達度を調べる検査のこと。参考:国立がん研究センター がん情報サービス『大腸がん』「検査」https://ganjoho.jp/public/cancer/colon/diagnosis.html

※2 UFTとは…経口の抗がん剤。参考:企画・編集 株式会社キタ・メディア、提供 大鵬薬品工業株式会社『ユーエフティを服用される方へ 服用の手引き』https://ganjoho.jp/public/cancer/colon/diagnosis.html