
大腸がんがステージ3にまで進行すると、再発の可能性も上がってきてしまいます。ステージ3aはリンパ節の転移が3個以下、ステージ3bだと4個以上転移した状態です。自覚症状で大腸がんのステージを判断することはできませんが、以下のような症状が出ているかどうかは重要な目安になるので知っておきましょう。
参照元:国立がん研究センター がん情報サービス 大腸がん『症状』
参照元:藤田 伸、島田安博(2011)『国立がん研究センターのがんの本 大腸がん』小学館クリエイティブ.
肛門から血液の混じった便が出てくることを指します。下血は主に真っ黒なタール状の便が出ること。これは出血してから時間が経過し、酸化して黒くなるためです。痔や大腸がんでなくても消化器に異常が生じているのは確か。消化管で炎症を起こしている可能性も考えられます。
排便をしたときに便に血が混じっているように見えたり、トイレットペーパーに血がついたりと、便に交じって出血が起きる状態です。血液が酸化する間もなく血が出ていることから、肛門に近い消化器に問題がある可能性が考えられます。大腸の機能が低下しているときには黒っぽいことも。痔と間違えることが多いものの注意が必要です。
便に交じって粘液が付着していたり、慢性的に粘液が混じった血性の下痢が起きたりするときには大腸に問題があると考えましょう。大腸がんや直腸がん、潰瘍性の大腸炎や他の大腸の病気も考えられます。
一般的に便秘を起こすことはよくある症状。ストレスや食物繊維の不足でも便秘が起きますが、これが下痢と便秘を頻繁に繰り返す場合には注意が必要です。念のため大腸がんのチェックを受けておいた方が良いでしょう。
冷えたりストレスを感じたり、食あたりや飲み過ぎでも下痢になる方は多く、下痢をしやすい体質の方もいますが、便秘と交互に頻繁に下痢を繰り返すようになったという方は注意が必要です。一度は医師に相談し、きちんとチェックを受けましょう。
便がやわらかく細い状態が続く場合には、腸内に異常があると考えた方が良いでしょう。大腸がんや大腸ポリープを発症している恐れも。他に考えられる症状として自律神経が乱れている可能性もあるので、詳しい検査をしてもらうことをおすすめします。
大腸で慢性的に少しずつ出血している場合、自分が気づかないうちに貧血になっていることがあります。もし腸内で出血していたことが原因であれば上記のような下血や血便も同時にあらわれているでしょう。食事に気をつかっていても頻繁に貧血が起こる場合は要注意です。
リンパ節周辺にしこりがあらわれる多くの原因は炎症や風邪のとき。身体に菌が入ってきたときに免疫反応を起こし、細胞が活動すると腫れて触れるようになります。このときのリンパの腫れには問題ありませんが、だんだん大きくなっていく、外から触るとグリグリと動くなどの場合は一度見てもらいましょう。
大腸がんが原因で腹痛が起きている場合、腫瘍が大きくなって便の通り道をふさぎ、便秘や腸閉塞のような状態になっている可能性があります。初期がんは腹痛が起きることはほとんどありません。血便や下血などの症状も同時に起こっているとがんが進行している可能性が高いと言えます。
いかがでしたか。これらの症状が頻繁に起こる、複数の症状が同時に起きているなど身体に顕著な異変を感じたら専門の医師へ相談しましょう。初期の大腸がんは自覚症状がないため、症状が出はじめたときにはある程度がんが進行している可能性もあります。家族に大腸がんを患った方が1人でもいるという方はなおさら、すぐにでも医療機関を受診して精密検査を受けましょう。
大腸がんがステージ3に進行した場合の生存率や再発率、手術や治療法についても詳しくまとめているので、下記より参考までにご覧ください。
安田洋一さん(男性)
私の場合、入院後、直ぐには手術の日程が決まりませんでした。
手術までは動けますので、入院しつつも、病室にパソコンを持ち込み、また、外出許可を取って仕事を続けていました。
そのため、仕事上のお客さん達にも、入院しているということは、ほとんど知られませんでした。
ただ、手術後ある程度の期間は仕事ができませんので、手術の日程が決まったときに、伝えておくべきお客さんに対して、「腸閉塞の疑いで1週間ぐらい入院する」とだけ伝えました。
『入院すると仕事はできなくなる』と考える方もいるかもしれませんが、大腸がんの場合、手術前までは食事制限があるくらいで比較的自由です。
他のがんに比べても外出しやすいと思います。
山本悦秀さん(男性)
1回目の手術後、41歳から走り始めていたフルマラソンに再挑戦して完走することができました。
徐々に体力も回復してきたので、飲酒を再開していましたが、フルマラソンの翌月、2007年5月に「念のため」と言われて内視鏡検査を受けたところ上部直腸に癌が発見されました。
私もその検査像を見て「これはダメかな」と思いました。
翌月に切除手術を受けました。
手術では粘膜や漿膜面(しょうまくめん)には変化はありませんでしたので、「血行性転移」と診断され、こちらの方がショックでした。
「血行性転移」は、癌細胞が血液を通して全身を巡り、一番弱いところに転移するものです。
実際、術後の経過はすっきりとはしませんでした。
そしてその年の暮、ついに恐れていた肝転移が発現し、術前化学療法として抗がん剤の投与が始まりました。
癌の手術よりもこの抗がん剤との戦いの方が大変でした。
5回やる計画でしたが、あまりにも大変で、3回でやめてもらいました。
あの思いはもうしたくないと今でも思います。
2008年3月、肝臓の右葉と胆嚢を切除する手術を受けました。
その後は再発率6~7割、5年生存率は2~5割という中を生きてきましたが、3年間無再発で癌生還者への道に入り、現在7年3か月という記録を日々更新しています。
中原ひとみさん(女性)
それまで中原さんは、体の調子がよくないときはお産でお世話になった知り合いの産婦人科医を頼っていた。
その医師が転勤で神戸に移ってからも、向こうで仕事があるときに立ち寄って診てもらっていたので、このときも広島での仕事が終わったあと、神戸に立ち寄って検査を受けた。
がんが見つかるきっかけになったのは、その際に受けた便潜血検査だった。
陽性という結果が出たため、中原さんは帰京後、医師から紹介された都内の大学病院を訪ね、大腸内視鏡検査を受けた。
その結果、横行結腸にがんがあることがわかったのだ。
「内視鏡検査の写真を見せられたんですが、卵くらいの大きさのがんが写っていました。
着色した写真であることを知らなかったので『わー、ばらの花のようですね』と言った記憶があります。
そのくらいの大きさになると内視鏡手術では対応できないので、開腹手術になるということでした」
引用元:がんを経験したことで、死に対する度胸がつきました ステージ3の大腸がんを克服した女優・中原ひとみさん | がんサポート
ひなまつりさん(女性)
考えた事はこれからの事よりもなぜガンになってしまったのか…と言うこと
私のガンが見つかったのは自分自身奇跡に近いと思っている
大腸がんのほとんどが
自主的に内視鏡の検査をしないかぎり初期の段階で見つけるのが難しい
私のがんは、右側の上行結腸ガン。
腸は右側からはじまり
左側を通って肛門へ。
右側は腸が広く内容物も液状。
左側のほうには右側に比べて腸が狭く内容物も固形物になってるらしい
なので腸に炎症がある時は左側の方が便の検査では潜血反応が出やすい
右側はまだ内容物が液状なので炎症があっても潜血反応が出にくいらしい
実際私の潜血反応の量は微量で今回の反応は多分便秘かつ痔だったからだと思う。
もう少し若かったら再検査はしてないだろう
今回はまあー40才もすぎたから…念のためぐらいのかるーい気持ちだった
もしそこで再検査をしてなかったら多分相当ガンは進行し気づい時には手の施しようがなかったと思う。
冷静に考えば私は運が良かった!
ラッキーだったと思う。
でもいつからだったんだろう
ガンになってしまったのは…?
新里さん(男性)
私の闘病記録を時系列順にまとめてみました。
私の大腸がんが発覚したのは、2010年(平成22年)の3月頃でした。
今メモ帳を読みながらこれを書いているのですが、私が自覚症状的なものを感じ始めたのは2009年の11月頃です。
その頃から便秘と下痢を繰り返すようになっていました。
しかし、よくよく思い出してみると、その数年前(1~2年前)くらいから便やオナラの匂いが変わり始めていました。
今まで無味無臭だったものが、(※味わったわけではありません 笑)ものすごく腐敗した匂いを放つようになっていたのです。
その後しばらくすると、便が少しずつ細くなり始めました。
こうして私と大腸がんとの戦いは、静かに始まってゆくのでした・・・。
引用元:私の大腸がん闘病記時系列年表
金哲彦さん(男性)
健康に走っていた人が翌年に病院に行って手術をしなければいけない。
これがガンという病気の不思議さです。
風邪を引いたら何となくだるくなるのに、ガンというのは、ガン細胞はどんどん大きくなっても、かなり大きくなるまで自覚症状が出ない、痛くも何ともないんです。
2005年の後半だったでしょうか、左の下腹部を触るとグリグリと異物感はあったのですが、特に痛くもないのでそのまま病院にも行かず放っておいたんです。
医師からは「ステージ3ってかなり大きなガンなので、ここまで来るのに、多分3~4年以上はかかっているでしょう。
なんでこうなるまで放っておいたのですか」と怒られました。
人間ドックや自治体の検診でもあると思うんですが、私も大腸がん検診の「便潜血検査」を受けて陽性だったんです。
でも、痔だろうって決めつけていて。
毎年何年か陽性って続いていて、それをずっと放っておいたんです。
確かに自分の大失敗なんです。
自分がその年齢で大腸がんだなんて微塵も思っていませんでした。
あるとき便秘になったり下痢にもなったりして、それでもマラソンも出来るし酒も飲めるし、他の病気と違ってほったらかしてしまう恐れがあるというのが、私が経験してみて他の病気とガンとの大きな違いと言えます。
引用元:平成28年度がん予防講演会を開催しました 市原市
たまさん(男性)
発端は4月、区役所に婚姻届をだしに行く日でした。
その日妻が「前の日からお腹が痛い」というので病院に行ってから婚姻届をだしに行こうということになりました。
病院では腸重積の診断腸重積は子供の病気で大人がなるとしたら大腸にポリープか癌がある可能性が高いと言われ、入院を勧められたそうです。
しかし妻はそんなことがあるわけないといって検査の予約だけして帰ってきました。
「あの先生なにいってるんだろうね」そんな事をいって笑っていました…
ほくちゃんさん
40歳になる前年初めての人間ドックで結腸がんが見つかりました。
3~4cmあり、ステージでいうと3bでしたが自覚症状は全くありませんでした。
腹腔鏡手術のあと抗がん剤もしました。
退院後は、時間があるので同じ病気の方のブログを読み漁ったりして、経過を見ていくうちに、「今までありがとう、○○はいついつ天国に旅立ちました」というご家族の方の書き込みを見つけることも多く、これではだめだ、と思い切って退院から3か月後在宅の仕事を始めました。
他に手術後始めたのは、ご飯を雑穀米にしたこと、ヤクルト400の宅配くらいで、負担に感じることはしていません。
手術の時、下の息子が1歳でしたので、子供たちを残して死んではいけないという思いが支えでした。
当時授乳中だったので、自分の病状より癌に侵されていたのにおっぱいをあげていたショックが大きかったことを、最近、乳がんの闘病中の小林真央さんのブログを見て思い出しました。
川守田順吉さん(男性)
最初の直腸がんはステージ3bで、抗がん剤を長期間服用しますということで、確かUFT(一般名:テガフールウラシル)という薬と、サルノコシカケから作るという免疫賦活剤を処方されて3年間飲みました。
副作用として下痢がときどきありました。
我慢できない状態ではなかったです。
特にお腹が痛くなるとか、膨満感というのはあまりなかったです。
その後は2ヵ月に1回、血液検査で腫瘍マーカーのチェックをして、基本的に1年に1回、腹部のCT、大腸カメラと胃カメラ(内視鏡検査)、MRI、脳のチェックを約3年間しました。
」
「見つかったのはそのあとです。
『今回の検査でなんともなければ終わりだね』という5回目の検査でした。
最初にバリウムを注入してチェックすると、『どうもおかしい』と。
それでカメラを入れてみたら、『最初の直腸がんは完治しているようだけれども、別の大腸がんが見つかった』と言われて、1週間ぐらい待ってすぐ入院して、また開腹手術をしました。
ストーマの状態がすっかり変わっていましたので、新たに人工肛門をつけたのだと思います。
上手ですね。
最初の傷跡とまったく同じ場所に作られていて、(手術の痕の)線が2本ないのです。
『あれ?本当に手術したのかな』というぐらいきれいな手術でした。
1回目の手術のときのことをいろいろと知っているものですから、2回目はイヤだったですね。
先生の指示をきっちりと守って薬もちゃんと服用していたのに、『またなっちゃったのかな』と思いましたが、直腸がんは完全に治っていて、別のが新たに悪さをしてがんを作りましたということです。
病院では優等生ぶって平気な顔をしていましたけれども、結構つらかったですよね。
」
引用元:JPOP-VOICE(ジェイポップ-ヴォイス)/【大腸がん体験者】川守田順吉さん[Movie:2度目の大腸がん]
匿名(男性)
吐き気や腹痛などの症状はなく、排便は1日1回。
診察では特に異常は見られなかった。
血液検査では、CEAという検査値が12.4ng/mL(基準は5 ng/mL以下)、CA19-9という検査値も102ng/mL(基準は37 ng/mL)と、どちらも上昇しており、大腸がんの疑いが出てきた。
CEAおよびCA19-9は「腫瘍マーカー」と呼ばれ、がんがあるかどうかの目安になる値なのだという。
下部消化管内視鏡(大腸カメラ)検査を行ったところ、横行結腸に全周にわたる腫瘍が見つかった。
悪性かもしれないということで、その腫瘍の組織を採取して、病理検査を行うことになった。
胸や腹部のCT (コンピューター断層撮影装置)検査では、リンパ節への転移が疑われたものの、肝臓・肺への転移は見られなかった。
森島俊二さん(男性)
毎週末スポーツジムのスカッシュ教室で仲間たちとスカッシュをしていて運動不足ということはない。
だから健康診断の結果は気にならなかった。
季節は夏から冬に変わり2007年1月。
トイレで用をたすと時々便に血が混じってくる。
「ぢ」かな?
お尻を紙で拭くと血がつくことがあった。
そして梅雨に入った頃、今度は「いちごジャム状」のドロッとした血が出た。
あめ玉くらいの大きさだ。
ネット上で情報検索し確認するが、痔とは思えない。
だけど仕事が忙しいから、会社を休んで病院には行きにくい。
7月に入ると自分でもびっくりすることが起こる。
会社の事務所が4階にあり、みんなと一緒に階段を登るとき自分だけついていけない。
貧血状態になっていた。
だから、会社が夏休みになる7月下旬、相模原市にある総合病院に行った。
痔(ぢ)ですねと言われることを期待して外科を訪れる。
しかし医師は肛門を触診して言う。
「これは痔ではありません。
なるべく早く大腸内視鏡検査をしましょう」
それから1週間後の7月31日、内視鏡検査を受けた。
待合室に戻ると直ぐに診察室に来るように案内された。
ノックして入る。
なんとそこには父親と母親がいた。
帰りが遅いと心配して病院に来た両親だったが、先に医師に呼ばれ説明を聞いていた。
2人とも冷静に淡々と聞いている。
狭い診察室に4人。
「生検に出さないと悪性かどうかわからないですが、観るからに悪性だと思いますよ。
病理検査の結果がでたらすぐに手術できるように準備しましょう」
医師が言う「悪性」が「がん」を意味していることは理解できた。
はるさん(女性)
夜ご飯を食べてからお腹が痛くなり
微熱が…
血液検査をしたら白血球の数値が高くなっていて急遽CTを撮りました
そして、またお尻に管が入りました
点滴もしています。
最悪です。
ご飯も食べれません
最悪。
みんなが回復していく中、私だけ…
なんでって思ってしまいます。
とにかくら痛みが引いてほしいです。
ももさん(男性)
お腹が痛い。
痛みが徐々に増し、夜中には痛みで苦しくて眠れない。
しかも人生で初めてあまりの痛さに気持ち悪くて吐いた。
これはヤバいと思いつつ、救急車を呼ぶのも気が引けたので、ひたすら我慢してた。
今思えば、我慢せずに救急車呼べば良かった。
翌日の朝、会社に電話して休みを貰い、近くのお医者さんへ。
お腹は相変わらず激痛で、痛みを訴えまくったところレントゲンを撮ることに。
レントゲンの結果、ウ○コが大腸に溜まっているとのことで、大きい病院で診て貰った方が良いとの話で、紹介状を書いて貰い、早速、別の病院へ。
紹介状を渡し、かなり待たされた後、採血やら、レントゲンやらを受け、お医者さんと対面。
医「大腸内にウ○コが詰まっており、盲腸を圧迫してますね。
ズバリ盲腸です!入院してとっちゃいましょうか?」
とのこと。
その後、お医者さんが続けて
医「盲腸よりも気になるところがあります。
結腸で狭窄部分があります。
過去にお腹を強打したとかありますか?」
も「いいえ、ないです」
医「これは気になるので、しっかり検査しましょう。
今から入院して下さい」
…こうして、盲腸と診断された+結腸部の狭窄を指摘され、そのまま入院となりました。
この時はまさか長い入院生活の始まりとは夢にも思いませんでした…。
ももさん(男性)
医「ももさんの大腸を調べた結果、横行結腸癌と判明しました。
手術で取り除きましょう」
も「はい(…マジか。
)」
狭窄の部分は癌細胞が成長し、盛り上がってきて、大腸の空間を埋めつつあったようです。
医「結腸部の癌ですが、表面だけでなく、結構、深くまで浸透してますね。
詳しくは、切除して検査しないとはっきりしませんが、ステージ2はありますね」
も「はい(…マジか。
)」
こうして7月25日に手術することが決定した。
その前に絶食が長いので、狭窄部にステントを入れ、普通の食事が摂れるようにするとのこと。
癌宣告はびっくりしたけど、この時は「切除すれば治るだろ!それより早くご飯が食べたい…。
」
という感じで深く考えてなかった。
こういう時、楽天家は良いねw
ももさん(男性)
今朝、起きるとなんか悪寒が。
嫌な予感はしていたけど、やっぱり熱が出た
昨日から娘が風邪をひいていたので、どうやらそれをもらったみたいだ
抗がん剤治療の副作用で免疫力が低下してるからか、辛い
結局、熱は38.7℃まで上昇。
これはマズいと思い、病院で発熱時に飲んで下さいと処方された薬を飲んだ
すると不思議なことに幾分身体が楽になってきた。
あれだけ辛かったのがウソみたいだ
さて、身体が楽になったところでさっさと寝よう
明日には良くなってますように
妻さん(女性)
夫が8月31日にうけた、今年度の健康診断。
結果が郵送で到着したのですが、なんと、内科への紹介状の封筒が入っていました。
急いで数値を確認すると、「血小板高値」ということで、再検査または精密検査を必要とする、となっていました。
ちょっと調べてみるとまれに白血病やがんになるとこの数値が上がる方もいるとか。
すぐに病院に予約をとって、今日、受診してきました。
血液検査、エコー検査を経てやっと診察室へ。
初めてのお医者様だったのですが、「結論から言うと問題ないです」という最初の一言で安心しました。
なぜ健康診断のときにその数値がでたのかは原因不明。
でも、今日の数値は全く異常がなく、他の数値も全く問題ないということでした。
ちょうど体調を崩して、まだ治りきっていない時だったのでそのせいかな?と話したら風邪でこの数値はあがらない、ということだったのでやはり風邪じゃないなにかだったのか?という疑惑もありますが。
原因追求よりも、まずは今日異常がなかったことに安心しました。
さらに、このお医者様は夫のこれまでの病歴もしっかりカルテで把握していて、12月に定期検査があるようなので、その際の血液検査で何らかの異常があれば、主治医から説明があると思いますし、それから精密検査、という流れになると思います、ということで、こちらが安心する材料を与えてくれました。
こういうお医者様はほっとしますね。
私(妻)を担当するお医者様はほとんどが若いお医者様で(貧血だけの症状だからだと思いますが)、ここまで的確な説明はしてくれないので、今回、ベテランのお医者様だったこともとても安心材料でした。
「もし再発していたらどうしよう」
という不安は見事にハズレ、ほっとしています。
夫さん(男性)
8月に入った頃ぐらいから、お腹に鈍痛がおき始める。
特に便秘症でもない私なんですが、なんかお腹に違和感がおこり始めた。
今、考えれば便も出にくくなっていたかもしれない。
妻に話すと大腸の要検査が出ていたのでお願いだから受診してと怒られて、診察を受ける事に。
8/29 病院に電話をして受診の予約をする。
紹介状があるということで、夜9時以降飲食せずに受診をお願いしますということだった。
妻さん(女性)
今年2月に健康診断をうけて、その後半年。
8月ごろから、左側の腹部が時々痛い、といって横になることが多くありました。
気分も優れない様子。
でも夫は
「大丈夫。
休めば治るから。
」
の繰り返し。
横にいてそれを見ているほうは、けっこう辛い。
8月後半には、すでにほぼ毎日痛い、と訴えるように。
なかなか病院の予約をとってくれないので、今日は絶対に病院に電話して、とお願いをしたほど。
今考えるとそれは自覚症状。
そしてがんとわかってから約3週間。
水分を多くとるようにし、油物を連続して食べないようにすると、その痛みが和らぐことに気がつきました。
おそらく、食べたものが消化され、その後、大腸をとおるときに、大きながんポリープ(5センチくらい?あるようです)にひっかかってしまい、痛みがでるのではないかな、と思います。
先生に聞いてもおそらくそうだろうということ。
ならば、と少しでも痛みがでないような食事と対策を。
今日は11/3。
入院まであと4日、手術まであと5日。
夫も私も、早く入院、手術をしたいと指折り数えて待つ日々です。
ichigoさん(女性)
2013年初めから、貧血がひどくなり朝礼中や電車の中で座り込むことが増え始めました。
アラフォーにもなり、年のせい^^;。
と思いつつ放置。
私は元気!と気づかないふりを
していました。
その後、下痢と便秘をくりかすようになり、そろそろ病院に行こうかと思っていたのですが
店舗の業績の下降気味になり、管理職をしていた私は、それどこれではないと
気合でやり過ごす。
世の中、こういう方が多いんじゃないでしょうか・・・気づいた時に行って下さい。
後に残るは、後悔だけです。
そして5月・・・とうとう熱と腹痛が出だし、それでも鎮痛剤を飲みながら
仕事をしていましたが、どうにもこうにも痛みが止まらず
仕事中に会社の近くのクリニックへ。
そこでCTを撮ったところ、明らかに良い結果でない雰囲気。
「今すぐ紹介状を書くので、大きな病院で検査をしてください。
小さなクリニックでは対応できないので」
えぇー。
仕事中なんですよ!なんて言ってる場合ではなく
会社へはいったん帰り報告をし、紹介を受けた病院へ。
そこは市内でも三本の指には入る大きな病院だったのですが
採血、CTと進み、いざ先生の診察・・・あー何言われるんだろうと
ドキドキしていたのですが・・・・
引用元:病気の経緯 | 「一語一話」
みのむしくんさん(女性)
もともと胃腸の調子は良くなかったのよねー でもてっきり胃だと思ってたから。
胃潰瘍とか逆流性胃腸炎とか。
お医者嫌いだからずっと市販薬でしのいでた。
が、忘れもしない2013年9月27日。
夜中にお腹が痙攣をおこした!!
夜中じゅうのたうちまわって明け方に嘔吐して。
これはいかん!と朝ダンナに「店休ませて..」と。
(あ、夫婦でお店やってます。
)医者に行くなら休んでいいというのでお医者さんに行って血液検査と薬をもらい、胃カメラ検査の予約もしてきました。
そんな調子なのに次の週末には友達との飲み会に参加して、「来週胃カメラしてくるね~」と明るく話し、週明けの火曜日に胃カメラ検査へ。
結果、十二指腸潰瘍でした。
しかもふつうは1.2か所できるものだけど私の場合10か所以上も!!まぁそれでもほっとしたのもつかの間。
実は血液検査で腫瘍マーカーを調べてくれていたのだけど数値がCEA5.4。
「うーん気にならないっちゃあ気にならないし、気になるっちゃあ気になるし。
」
というわけで一応簡単な検便からやっときますか ということで2回の検便で何やかやで10月は過ぎていくのでした。
みのむしくんさん(女性)
10月下旬に再び受診、そのときに「便潜血があります。
2回の検査両方ともです。
出血しているからには検査を受けてもらわないといけません。
ここでは大腸検査はできないので、病院を紹介します。
」と言われ..
それでも自分の中ではえらいっこちゃ!とはならず、あらら~程度の反応だったんだけど。
大腸の検査なんてどこの病院でも同じようなものだから、ということで先生ご用達?の病院で予約を取ってもらいました。
検査なんて初めてなのでまずは問診からということで。
10月29日に初の総合病院へ。
自分は健康!などと根拠のない自信があっただけにまさか私がねーって感じで。
。
ダンナはひとまわり上なんだけど、自分で築いた店に全力投球する真面目タイプなので、病気になるならあんたでしょ!!と思ってたのにな。
でもその店にちょっぴりお手伝い~程度の軽い気持ちでいたのにどっぷりがっつり働かされて、自分の人生180度ひっくりかえっちゃったときはしんどかったのよねー ずーーーーーーーっとダンナと一緒だし。
自由な一人の時間?そんなのなかったな。
それが病気の原因か。
なーんてね 専業主婦になりたかったの。