大腸がんのステージ4は、がんが骨や肺などのほかの臓器などに転移している段階です。腫瘍の大きさやリンパ節転移の数に関係なく、大腸以外の部位に広がっている場合はすべてステージ4と判断されます。ここでは、大腸がんのステージ4で出る症状について、詳しく解説していきましょう。
参照元:国立がん研究センター がん情報サービス 大腸がん『症状』
参照元:藤田 伸、島田安博(2011)『国立がん研究センターのがんの本 大腸がん』小学館クリエイティブ.
肛門から血が混じった便が出る症状です。大腸の左側(下行結腸・S状結腸・直腸)にがんが発生したときに出る症状で、何らかの原因で消化管に出血が起こった場合に発生します。出血した位置や量によって便の色が異なりますが、盲腸や上行結腸から出血した場合は真っ黒なタール状の便が排泄されるのが特徴です。ステージ4になるとある日突然、大量の下血が発生することがあります。
大腸がんの代表的な初期症状です。便に交じって出血が起きる状態で、排便をした際に便に血液が混じっていたり、お尻を拭いたときに血がついたりする人は要注意。また、血便は痔と区別されにくいのも特徴です。
痔の場合は真っ赤な鮮血が多く、大腸がんは黒っぽい血になっています。ただし、これはあくまで目安。鮮血の場合でも大腸がんの可能性があるので、血便が出た場合は検査を受けるようにしましょう。
便と共に排泄される粘液は、腸の粘膜から分泌されるタンパク質の一種。腸が正常であれば出ることはありませんが、大腸で何らかのトラブルが起きると発生します。大腸がんのほかにも潰瘍性大腸炎や、下痢や便秘を繰り返す過敏性腸症候群の可能性も。粘液便が長く続くようであれば病院で検査を受けましょう。
がんができたことによって便の通りが悪くなり便秘になっている状態です。便秘が続くからと言ってすぐに大腸がんを疑う必要はありませんが、便秘と下痢を繰り返すようであれば検査を受けたほうがいいでしょう。
大腸にがんができたことで便が通過しにくくなり、それを押し出そうと下痢になります。下痢は食あたりや飲み過ぎなどさまざまな理由でも発生するため、すぐに大腸がんと判断することはできません。便秘と同様に下痢と便秘が交互に続くようであれば、医師に相談しましょう。
がんによって大腸の一部がすぼんでしまい、便の通り道が狭くなっている人に出る症状です。がん以外にも痔や大腸ポリープ、ストレスなど、さまざまな原因が考えられます。いずれにせよ、腸に何かしらの異常が発生している可能性があるので、詳しく検査したほうがいいでしょう。
大腸の右側(盲腸・上行結腸・横行結腸)にがんが発生している場合に出る症状です。がん細胞が大きくなると、消化器官から出血して貧血になる可能性があります。貧血が出ている場合は、大腸がんが進行している可能性が高いので注意が必要です。
腸からの出血が原因で貧血になる場合は、下血や便が細いなどの症状も同時に発生しているケースが多いもの。両方の症状が出る場合はすぐに医師に相談しましょう。
しこりは主に結腸に見られます。大腸に発生するしこりは、炎症によるリンパ腺の腫れとも間違いやすいですが、だんだん大きくなっていったり、外から触るとグリグリと動いたりするしこりの場合は診察を受けましょう。
大腸がんによる腹痛は腸閉塞のような状態になっていたり、便が通り道をふさいで便秘になったりすることで腹痛が起こることがあります。このような状態が続いている場合は進行している可能性があるため、病院で診察を受けるようにしましょう。
以上が大腸がんの発生していた場合に起こる症状です。上記で紹介したような症状が続いたり、複数の症状が発生したりしている場合は病院で診察を受けるようにしましょう。
大腸がんがステージ4に進行した場合の生存率や再発率、手術や治療法についてもご紹介しているので、そちらも参考にしてください。
がんと診断された約半数の人が、さらに、治療が進むと約8割の人が体重減少するという報告があります。体重が減少する原因は薬物療法や放射線療法などによる体への刺激、がん細胞自身が放出する物質によって体内で慢性炎症が起こり、食欲不振や下痢などの症状が発生するためです。それを放置し続けると体重や筋肉が減少し、QOLが低下してしまいます。QOLの低下は、患者本人から気力を奪っていき、最終的には生存期間に影響を与えると言われているので、早めに対策を取りましょう。
QOLが下がってしまった場合の対策
森島さん(男性)
そんな矢先の2012年1月、森島さんに異変が起こる。
夜、寝る前、足の裏がかゆくて仕方がなくなる。
何となく顔も黄色っぽい。
1週間経ったら尿が紅茶のような色になる。
1月15日に例の相模原市の総合病院に行くと、これは皮膚科じゃないと言われ外科にまわされる。
血液検査の結果、「黄だん」という診断。
自分でも「今までとは違ったことが起きている」と感じた。
森島さん(男性)
大腸がんのリンパ節転移によりリンパ節が腫れあがり胆管を押しつぶしていた。
つまり2度目のがん転移だった。
治療としては、まず狭まった胆管を内側から押し広げるためにステントを通す手術。
さっそく内視鏡を使って行われた。
もう一つの治療は絶食して点滴だけで栄養分を取り、時間とともに黄だんがひくのを待つ方法。
なんともまったりとした治療で体力と気力がぐっと落ちた。
結局1ヶ月半入院したが、ビリルビンの値は正常値にまで戻り、3月に退院。
K・Tさん(女性)
その後、6月の下旬あたりですね。
おなかと、腰のあたりが痛いと感じ始めたんです。
しばらく様子をみていたんですが、なかなかよくならないので、肺炎でお世話になった病院で便の検査をしてもらいました。
2日間の検査を受けたところ、潜血ありと診断されました。
それから総合病院を紹介されて精密検査を受けたわけですが、そこでいきなりがん宣告をされたんです。
大腸がんステージ4。
K・Tさん(女性)
「下行結腸がん」でリンパや大動脈へも転移していました。
肝臓や肺への転移はありませんでしたが、腹水がたまっていてがん性の腹膜炎も起こしている状態でした。
ステージ4で進行が激しいこと、そして一番大きな問題が、大動脈のリンパに転移していて、その手術ができないということでした。
要するに「手術はできない。
抗がん剤治療しかない」というわけです。
そして、「抗がん剤治療をすれば2年から3年、何も治療をしなければ10カ月」とも言われました。
いわゆる「余命宣告」を受けたのです。
「もう孫の成長を見られないのかな」などと、いろいろな覚悟もしました。
"Tomさん(男性)
6月に受けた健康診断が7月末に結果が出た。
身体が太い方なので、いつもメタボ注意は出ていたが、今回は便にも血液反応が出ていた。
8月は仕事が忙しく、9月はじめに総合病院へ行き、腸の内視鏡検査の予約をとった。
検査日は、ほぼ1か月先の10/1。
検査食とニフレック・下剤をもらい説明を受けて帰った。
このときは、どうせ痔か内臓が荒れているんだろと、心配もしていなかった。
そして10/1に腸の内視鏡検査を受ける。
初めての経験。
胃カメラほどでないが、結構痛いし苦しい。
それでも、一度奥まで入ると少し楽になる。
カメラを少しずつ引き抜いていく。
自分で見る腸は思っていたよりキレイでいわゆるポリープもない。
楽勝だなと思っていると、異物が見つかり、医者の態度が変わる。
パシャパシャと撮影する。
さらに組織を採取するとのこと。
これはただ事でないと察する。
そしてトドメの一言「10/11に家族の人と一緒にきて下さい。
」
「それは、ガンと言う事ですか」と聞くと、組織を調べないと確定的なことは言えないが、その可能性が高いと医師の答え。
思ってもいなかった結果を聞き、愕然として帰る。
Tomさん(男性)
その後、病室担当医から、治療の説明があった。
抗がん剤は、ゼロックス+アバスチンとなる。
既にポート取付済みなのでFLOFOXかと思っていたので、少し意外だ。
ただ、ゼロックスだと3週間ごとの入院・通院になるので、生活の上ではこちらの方が楽だ。
しかも、効果はFLOFOXと同程度なので、否はない。
治療に同意し、明後日から投薬開始となる。
そして夕食。
味ご飯まであり、とてもいい食事だ。
がん研食事
化学療法を受けると、吐き気等で食欲が減退するケースが多い。
食の楽しみが失われなければいいのだが。
mimiさん(女性)
2016年、5月 初めて血便を経験します。
以前、ぢを経験していたので、また再発してしまったのかな、と癌だという危機感はまったく抱いておりませんでした。
2016年、6月 心理カウンセラーを訪れます。
ぢや食欲減退はこころの病ではないか、と思っていたのですね。
2016年、 7月 体重はBMI 16を切るほどになりました。
慌てて食生活を見直します。
2016年 8月 血便はあったり、なかったり。
毎日を気合いで乗り越える日々が続きました。
2016年 10月 こころを立ち直らせる作業を本格的に開始。
食欲も戻り、最低体重から5㌔増えました。
この時も毎日の運動、食生活、普段通りに生活しておりました。
お酒は控えるようにはなっていましたが週に2、3回はワイングラス1杯を飲んでいました。
2017年 1月 癌かな、と思う。
だけど思うだけ、でした。
mimiさん(女性)
2017年 1月 身体の不調に気づきます。
なんだか分からないけれど疲れがぬけない。
食べてるけれど太れない。
痩せ方が違う。
腕や脚がみるみる痩せる。
朝ごはんが食べられない。
朝、寝起きがしら具合が悪い。
嘔吐することも。
胃痛。
胃もたれ。
しかし、内臓の痛みは胃痛のみ。
便秘になることはありませんでしたが、お腹を下す毎日。
大腸がんは気付きにくい病と聞きます。
わたしの場合も例外では無かったと言えるでしょう。
この頃、肝臓の痛みはまだ感じていませんでした。
あるいは、感じないように薬で制止し続けていたのかもしれません。
なにかあれば、すぐ薬。
薬に抵抗がない身体とメンタルだったのですね。
mimiさん(女性)
酷い倦怠感。
息切れ。
あやまって人差し指を切ってしまったときに1時間も止まらなかった血。
毎日、物凄い量の流血。
時折、喉元まで上がってくる鉄のような味。
吐血。
目眩。
結婚指輪がブカブカになりました。
下腹部だけ、異様に膨れ始めました。
不安で眠れない日々。
家族にはまだ話していませんでした。
吐き気のこと、異様な倦怠感のこと、癌かもしれないこと。
なるべく大丈夫そうに、なるべく普通に。
話せるときが来たら話さなくてはいけない。
だけど、今じゃないよね?
勝手に結論づけるわたし。
わたし、辛い。
わたし、苦しい。
本当は助けを求めていた。
責任感や間違った認識から家族に頼ることを避けていた。
わたしが辛いと言ったらダメな気がしていた。
わたしは家庭の太陽で、いつも明るくて、繊細で優しい彼を助けなくてはいけないし、2歳児の美しい娘にはたくさんの愛を教えて優しい子に育って欲しい。
いま、わたしが倒れたら誰がわたしの家族を支えられるのだ。
パ―トナーに心配させたくない。
娘にわたしが辛いなんて悟られたくない。
ひとりで痛みを抱え込む日々が続きました。
mimiさん(女性)
人間って不思議なものですね。
よくよく思い出したのですが。
『あなた、癌よ』と言われてから、わたしは体調を大幅に崩しました。
突然、ステージ4の癌になった、というかんじでしたね。
ヘタヘタッと力が抜けるように毎日、衰弱していくのがわかったのです。
mimiさん(女性)
呆れ顔のM医師。
そりゃ、そうですよね。
わたしのお腹はパンパン。
肝臓が身体から飛び出していました。
胸が三つもあるような気分でした。
お化け屋敷のアルバイトでも面接したら、仮装なしで即採用!な身体つきになっていましたから
わたしはそこで、すこし、悲しくなりました。
でも、悲しんでいても仕方が無い。
mimiさん(女性)
昨日は気絶するように眠りに入りました。
チクチクする痛みと鈍痛を感じて痛み止めを接種しましたら、ボテッ、と倒れ込んでしまいました。
頭の中で時々、思います。
頻繁に、聞きますでしょ?
布団に入ってそのまま目を開けなかった、とか、眠るように亡くなる、とかね。
わたし、昨夜、虚ろ虚ろになりました。
呼吸が苦しくなりました。
明日、朝を迎えられますように、と朦朧としながら祈り、朝陽で目を覚ますことが出来ました。
眠りに入ってこのまま目が覚めなかったら嫌だな、まだやり終わってないことが沢山ある、と考えてしまいました。
ですから、今朝、目覚めたとき、幸せを感じました。
朝だ〜!(۶•̀ᴗ•́)۶、と。
すこし泣きました。
ルイルイさん(女性)
私も右横腹が朝から少し痛く胃腸炎かな~と思い息子を病院へ 急性虫垂炎の疑いがあるから入院と言われました 私も盲腸かななんて思いながら入院手続きをし帰ってきました
次の日お腹はほんの少ししか痛くなかったけどいつもならいかないのに近所の内科へ行きました 息子が急性虫垂炎で入院したから私も盲腸かなって言ったら超音波みましょうと エコーやってる先生の顔つきが変わりました 私はなにかあると確信し先生が肝臓に腫瘍が沢山あります
今すぐ紹介状書くので行って下さいと
目の前が真っ白になり不安と恐怖に襲われ息子が入院してる病院へ行きました
すぐに造影剤入りのCTをとり
結果
大腸ガンステージ4
肝臓に転移 肝臓はてのほどこしようがないくらいかなり末期
余命1年と告知されました
私は病院で大泣きしもうどうしよう
死にたくない、怖い 、なんで
主人にすぐ電話して帰ってきてと泣きじゃくりました
入院の予約をし帰り道車に飛び込めば死ねる楽に死にたいそう思いながら帰りました
Rikoさん(女性)
血尿とか生理不順当たり前!検査とか高いし時間もないし行ってらんない!
そんな生活でした。
一年半前くらいにとうとう血尿だけじゃなくて血便来たー!!ってなりまして
でも、またストレスだろうからいいか★と放置
一年前から血便が月一だったり二月に一回だったり
お腹がぎゅーと痛むことがあっても
安倍総理と同じストレスのおなかのやつじゃね?と思い込み放置
秋から冬の繁忙期を駆け抜けて、
年末に内科クリニックの主治医にぽろっと言ったら
検査しよう!って検査キットを渡される。
年明けて検査を提出して、2月の末ほどに遅くなったけど検査結果を聞きに行ったら
通常3桁までOKの便鮮血が5桁突破してること告げられる。
Suguruさん(男性)
2016年8月上旬。
最初は、筋肉痛のような痛みが右下腹部に現れた。
1週間経過しても痛みが引ず、むしろ悪化。
そう言えば便通が最近なかったな、と思い久々に浣腸をして見たが便は出ず、腹痛を我慢しながら床についた。
しかし腹痛は僕を眠らせてくれなかったのだ。
その夜、お腹の臓器が波を打つような強烈な痛みが30−40分おきに襲ってきたのだ。
これが虫垂炎ってやつなのか、と虫垂炎の経験がなく想像するしかない僕はそう思った。
あの時の苦しみようであれば、もし家に誰かがいれば救急車を呼んでくれたであろう。
さっさん(男性)
腹痛は多少あるものの、いったん回復したかのように見えた時期。
この当時、私の仕事が非常に忙しく、嫁さんの体調まで細かく気配り出来ていなかった。
そしておそらく、体調不良に慣れてしまい、1日を頑張ればやり過ごせる状態だったのかもしれない。
産まれたばかりの赤ん坊もいて、相当辛かったと思う。
病院には通っていた。
そして薬が処方されるだけの様子見が続いた。
さっさん(男性)
腹痛は続く。
お腹からふいにボコボコっという大きな音が鳴ったり、オナラも尋常ではない臭いがしていた。
工業廃棄物が腐ったような。
人から発せられる臭いとは思えない臭い。
言い表せないヒドイ臭いだった。
これは腫瘍が大腸を塞いで腸閉塞を起こしている事から来る症状だと後から分かった。
そして絶対に切ることのなかった43キロを下回り、また絶対に痩せる事のなかった太腿が痩せ始めた。
あれだけ気にしていた太腿の肉もあっけなく。
そして39度超えの熱が出た日もあった。
病院には通っていた。
でも何も気付いてくれない。
疑問に思ってくれない。
さっさん(男性)
今となっては大腸癌の症状の典型と思われる症状が明らかに出始めていた。
でもまだ癌だとは微塵にも疑ってなかった。
「血便なし」「産後」「授乳期」
「ストレス」「年齢」などなど、
癌ではないと考えられる理由が、あまりにも多く存在していたため、
まだ楽観視している時期だった。
状況から来るただの便秘だろうと。
さっさん(男性)
肝臓と肺の転移は、大きさや数からして手術で取り切れるものではない。
大腸の原発巣切除後、抗がん剤治療にて転移巣の縮小を狙う。
というものだった。
ステージ4の大腸癌治療としては標準的な物。
知識に乏しく、この時は標準治療のレールに
乗るしかなかった。
さっさん(男性)
病室に到着するなり激しく嘔吐。
そして背中の痛みが強くなりオプソを飲みました。
オプソの量は使用開始当初よりも1回あたりの量を増やしており、今まではこれを飲めば、数分後には必ず痛みはひいていました。
でも今回は痛みはずっと消えず、横になり苦悶の表情が続いていました。
吐き気の方は、制吐剤の点滴を入れたので、一旦は落ち着いたようでした。
さっさん(男性)
病院に着くと、さやかはベッドに腰をかけていました。
意識は朦朧としており、呼びかけに首を動かす程度の事しか出来ない。
発する言葉は「痛い」だけ。
昼間はあれだけ元気だったのになぜ。
あのパワーは人の命が消え尽きる前の最後の炎だったのか。
もうさやかは燃え尽きるという事なのか。
病院が用意してくれた簡易ベッドに横たわり、心を決めた。
とにかく今夜はさやかの側にいよう。
痛いところは撫でてあげよう。
反応してくれなくていいから、声をかけてあげよう。
さっさん(男性)
ふいに妻が嘔吐しました。
朝ご飯は結構しっかりと食べていたので、少し無理をし過ぎたかなと、最初はそう思いました。
でも普段の嘔吐とは様子が違いました。
洗面台に吐き出した吐瀉物はドス黒く、
部屋に充満する鉄臭い匂い。
嘔吐のリズムが早い。
明らかな吐血。
背中をさすってあげなければ。
激しく吐血する妻の姿に、
近寄りがたい雰囲気を感じてしまいました。
さっさん(男性)
さっさん(男性)
私は吐血の原因だけ知りたかった。
妻の身に何が起きている?
私は肝破裂を疑っていましたが、肝破裂では吐血は起きないとの事。
老医師の見解は、
肝臓内の腫瘍が増大し、門脈が塞がれる事によって血液が食道に流れ込み、食事や咳などの刺激で破損した血管から流れ出た血が胃に溜まったのでは、
との事だった。
さっさん(男性)
アバスチン+mFOLFOX6療法の6回目を開始する日。
これまで発生した副作用として主なのは以下。
最も恐ろしい骨髄抑制は今のところ気配無し。
白血球はいつも8000を超えていて、治療の延期などのトラブルは話題にすら上がらなかった。
さっさん(男性)
妻は治療当初、あまり抗がん剤治療についてその効果や種類などにあまり興味がなかった。
自分の中で癌という病に侵されたという事をまだ認められない部分があったようで、
「今度使う抗がん剤なんだけど。
」
「抗がん剤って私の前で言わないで!クスリって呼んでちょうだい。
」
といった感じだった。