
大腸がんのステージ4の治療法をご紹介します。手術ができない場合に行なわれる治療法についても記載しているので、ぜひ参考にしてください。
参照元:藤田 伸、島田安博(2011)『国立がん研究センターのがんの本 大腸がん』小学館クリエイティブ.
参照元:大腸癌研究会 患者さんのための大腸癌治療ガイドライン 2014年版
他の臓器に転移しているステージ4のがんでは、基本的には手術が行なわれず、抗がん剤治療や緩和ケアが中心となります。しかし、大腸がんの場合は、状態によっては手術を受けることが可能です。特に、大腸がんが最も転移しやすい肝臓の場合は、できるだけ転移巣を切除する方向で進められることが多いようです。
肝臓は人にとって重要な臓器ではありますが、再生能力を持っているため、切除しても治癒できる可能性があります。ただし、手術ができるかどうかの判断は、患者さんの年齢や体力によって変わるため、状態に合わせて決めることが大切です。
大腸がんが他の臓器に転移しているが手術によりどちらも切除できるケース。5年生存率が最も高い治療法です。
この場合は、大腸がんは外科手術で取り除かれ、転移先の臓器は化学療法や放射線療法で対処。切除できず化学療法や放射線療法で治療した場合は、予後は悪くなり5年生存率は下がります。
化学療法と放射線療法によって治療をします。どちらも手術で切除できないため、5年生存率がさらに低下します。
早期のがんであればリンパ節に転移してる可能性が低いため、内視鏡治療をすることが可能です。しかし、進行がんの場合は転移の可能性があるため、リンパ節の検査を行ないます。その結果をもとに大腸にあるがんと血管に沿ったリンパ節を切除。取り除いた後は、前後で縫合して繋ぎ合わせます。
治療ができない場合でも、抗がん剤治療や化学療法などが行なわれますが、便通に異常がある場合は、生活の質を高めるために腫瘍を含めた腸管の切除が行なわれるようです。
肛門側から取ることができないがんは開腹手術が行なわれます。直腸がんの手術には、大きく分けて2つ。がんのある直腸と共に肛門も切り取り、結腸に人工肛門を作る「直腸切断術」。肛門を広げたり縮めたりする筋を残して結腸と肛門管、もしくは直腸をつなぐ「肛門括約筋温存切除術」です。
近年ではQQL(生活の質)を考えて、肛門括約筋温存切除術がよく行なわれています。
手術ができない大腸がんの場合は化学療法や放射線治療、緩和ケアなどが行なわれます。以下のページでは、実際にはどのような治療が行なわれるのか詳しくまとめているので、ぜひ参考にしてください。
森島俊二さん(男性)
夜、寝る前、足の裏がかゆくて仕方がなくなる。
何となく顔も黄色っぽい。
1週間経ったら尿が紅茶のような色になる。
1月15日に例の相模原市の総合病院に行くと、これは皮膚科じゃないと言われ外科にまわされる。
血液検査の結果、「黄だん」という診断。
自分でも「今までとは違ったことが起きている」と感じた。
CT画像検査の結果、胆管がつまっていてビリルビンの値が上がっているとわかる。
大腸がんのリンパ節転移によりリンパ節が腫れあがり胆管を押しつぶしていた。
つまり2度目のがん転移だった。
治療としては、まず狭まった胆管を内側から押し広げるためにステントを通す手術。
さっそく内視鏡を使って行われた。
もう一つの治療は絶食して点滴だけで栄養分を取り、時間とともに黄だんがひくのを待つ方法。
なんともまったりとした治療で体力と気力がぐっと落ちた。
結局1ヶ月半入院したが、ビリルビンの値は正常値にまで戻り、3月に退院。
森島さんは今後の治療方針について意見を聞くため国立がん研究センター中央病院を訪れた。
肝胆膵外科医によるとそのリンパ節は太い血管の近くにあるため手術はできないという。
相模原市の総合病院と同じ意見だった。
今後は、直に及ぶ抗がん剤治療のみとなった。
森島俊二さん(男性)
そして4月から抗がん剤(FOLFOX+パニツムマブ)治療が開始。
3週間ごとに3日間入院して点滴で治療することになる。
これが森島さんのサラリーマン人生に大きく影響した。
コマ切れの出社になるし体調が悪い日も多い。
自ら依願して長期の休職扱いにしてもらった。
給料が出ない代わりに傷病手当が出るのだが社会保険料や税金などを会社に収めなくてはならない。
収入は減ってしまった。
抗がん剤(FOLFOX+パニツムマブ)の効果を感じるものの副作用には悩まされた。
一番の悩みはアレルギー反応。皮膚障害が出てしまいCVポートによる治療ができないことだ。
さらに薬を入れると1週間ほどはだるくて具合が悪い。
森島俊二さん(男性)
そんな生活が1年過ぎ、2013年4月、エルプラットによるアナフィラキーショックのため抗がん剤を変更することになった。
今後は、「FOLFIRI」と「ゼローダ」の組み合わせとなる。
FOLFIRIは点滴による抗がん剤治療だが通院による治療が可能。しかもゼローダは経口の飲み薬。
だから入院しなくていい。
これを機に森島さんは2013年のゴールデンウィーク前に会社に復職する。
求めていた社会との繋がりが再び実現した。
抗がん剤が替わったことでこうも生活が替わるものかと感じた。
再び朝から会社に行って仕事をする生活に戻れたのだ。
K・Tさん(女性)
はい。抗がん剤はオキサリプラチン(エルプラット)、FOLFOX(フォルフォックス)でした。抗がん剤治療の副作用がつらいということは、もう誰もがわかっていることですけれども、実際それはやってみなければわからない。 だから、何もしないでいるよりまずは治療しなければいけない、と思って入院して抗がん剤治療を受けることにしました。エルプラット100%の量は2回受けました。
1回目の時の副作用はそうでもなかったんですが、2回目の時はひどくて本当につらかったんですよ。しんどくってつらくって、歩けないくらい関節にもきました。 無理をして我慢して抗がん剤治療を受けながらの苦しい3年間を選ぶか、それとも元気な10カ月を選ぶかと問われたら、やっぱり元気な10カ月間で好きなことをやったほうがいいと思っていました。
特に2回目の抗がん剤治療で副作用のつらさを経験して、それをとても強く感じました。「結局、家族みんなの足手まといになるばかりだし、私自身もとても苦しい。 この状態で永らえるとしても元気な10カ月を過ごしたい。こんな思いで生きているんだったら…」と夫にも話したことがあります。
K・Tさん(女性)
「次は抗がん剤治療の量を減らしたい」と夫に言いましたが、薬を減らすことに対して夫は抵抗があったみたいです。少しでもよくなってほしい、長くいてほしい、という気持ちはすごくよくわかる。だけど、やっぱり私は耐えられなかった。
それで次からは80%の量にしたんです。それでも、だんだん回数を重ねるごとに抗がん剤が身体に蓄積されているんですね。治療が終わって元気なのは本当に2日間くらいだけでした。
ルイルイさん(女性)
私の食事は
食事の前に人参、りんご、小松菜、レモン入りのジュース
主食は玄米、サラダ、豆腐、温野菜です
味はなしですがサラダには自然食で買ったドレッシングかけてます
あとはガンに良い食べ物をいろいろ食べてます
無農薬は高いし自然食も高いしかなり大変
でもがんばらなきゃ
ルイルイさん(女性)
毎週月曜日は抗がん剤の日
朝、7時すぎにタクシーにのり病院へ
8時に機械があくから診察券をぴーと通すんだくど並んでる そしたら血液検査へこれまた行列
血液検査したら消化器外科で血液検査の結果まちうーん9時半過ぎに呼ばれた
今日は父が病院にきてくれた
先生に副作用の事きいたり
白血球はギリギリみたい
肝臓は数値がよくなってきてたってまじ嬉しい
父も少し安心してた
このまま効いてほしいな
そして抗がん剤は血液検査の結果で作ります これまた40~1時間待ち
緩和しつと言う所へいき抗がん剤が出来るまで待ってからスタートする
今回ビリビリしびれがすぐにでてきた
今も手足ビリビリ~
口内炎の薬もらいました
治ってほしい 痛すぎです
ルイルイさん(女性)
ルイルイさん(女性)
久々抗がん剤やってすぐ睡魔が アレルギー抑える薬が睡魔をおそうらしい~
起きたら手がビリビリ してきたよ~
また今日からビリビリ手袋生活です
でも出来て良かった~
白血球は食べ物では上がらないと先生はいいますが私は調べて白血球が上がる食べ物を食べて来週月曜にまた血液検査の結果楽しみにしたいです
ルイルイさん(女性)
いろんな人に抗ガン剤やってるんだからストレスもよくないし食べたい物を食べた方がいいんじゃない❓と言われます
私は肝臓に16個のがんがあり普通そんなの聞いたら重症みたいに思っちゃうと思います
私は今は、抗ガン剤の副作用以外は痛い所もなくまだ今は体力があります
本当に糖をとらない食事療法してからがんになる前より体調よくて自分でもびっくりしてます
だからこの食事療法は体力がないとダメだと思います 体力がある今、やってみて効果をみたいです
抗ガン剤とだからどっちかわからないって言われたらそれまでですが4月から10月まで抗ガン剤やりそれ以降メープルシロップ重曹と抗ガン剤多少CTみればわかるかなって
食事療法も大事ですが私は気持ちが1番大事だと思ってます
私は食事療法と抗ガン剤が私のがんに効いてるって思ってます
Rikoさん(女性)
今回教わったのは、ガンに対する正しい知識
ホリスティック医学に基づいた体のコントロール方法、
食事、呼吸方法、体操、イメージ療法でした。
精神的にも楽になったし、
何よりされるだけでなく、呼吸、体操、イメージなどで
自分で治療に参加できることがうれしかったです!
さっさん(男性)
頂いたコメントの中で、
「中治り」
という言葉を頂きました。
初めて見る言葉だったので、調べてみました。
この日のさやかは、
まさにその状態だったのかもしれません。
この日は朝から体調が良く、
さやかを連れて2時間だけの外出。
自宅に帰り、久しぶりに娘と息子に会えて、
さやかは嬉しそうでした。
この後に起こる事を考えると、
この時間を得る事が出来たのは、
家族に迷惑をかけまいと気丈に振る舞い続けるさやかの姿を見ていた、神様のご褒美だったのかもしれません。
さっさん(男性)
午前10時からCART治療開始。
M先生が病室に来て、鮮やかな手さばきで、
お腹に針が刺されて行く。
針を刺したのはお臍の下の辺り。
あっと言う間に、
黄色い液体がチューブを通して大きなパックに流れて行く。
さやかの腹水の色は初めて見たが、先生いわく意外と鮮やかな黄色だと。
これならば栄養もしっかり戻せるかもしれない、との事。
腹水には血液が混ざる事が多く、赤みを帯びて濁った状態の場合もあるそうです。
さっさん(男性)
K病院を朝から受診。
この日は主治医がいました。
朝から制吐剤とアミノレバン。
肝臓保護の点滴も入れたけど。
意識も朦朧とし。
歩く事もままならない。
腫瘍性の疼痛も辛く、
オプソとMSコンチンは容量をさらに上げ、
痛みを誤魔化していました。
さっさん(男性)
A病院入院8日目。
この日はA病院を退院する日でもありました。
ほんの8日間なのに。
永遠に続くような地獄を味わった日々。
最初は淡い期待から始まり。
病院側の態度に不安を感じ。
何の説明も無い抗がん剤治療に疑いを抱き。
頼みの肝動注を拒否する医療に怒り。
最後はあり得ない医療ミスに恐怖を覚えた。
こんな8日間を終えて。
私が総じて感じたもの。
それは敗北感。
さっさん(男性)
妻はまだ肝動注に繋がれている。
抗がん剤が断続的に注がれている。
吐血の原因はこの時明らかではありませんでしたが、すぐに中止すること。
肝動注の針をすぐに抜いてもらいました。
まだどこかで出血は続いていました。
でも一旦。
全てを出し切る事が出来たのか、
また妻の吐血は落ち着きました。
さっさん(男性)
明らかに失敗でした。
もしA病院に出会わなければ妻の予後はどうなっていたのか。
死は免れないとしても。
少しは長く生きられたか。
穏やかな日は増えたか。
笑顔でいられる時間は長く得られたか。
結果論であるから。
全力を尽くしたから。
後悔はしていませんが。
「たられば」だけは止まらない。。
さっさん(男性)
私は前々から主治医に相談を持ちかけていました。
もう少し生き延びる方法。
標準治療である全身化学療法は、肝機能の低下により実施は完全に不可能。
A病院が採用している肝動注化学療法が、
実は一番理にかなっている。
そんな話はしていました。
あの異様な雰囲気の、
A病院にはいたくない。
でもK病院なら任せられる。
私は主治医に、肝動注化学療法をK病院でやりたい気持ちを伝えました。
主治医は、
肝動注化学療法の経験は研修医時代に1回あるが、経験はゼロに等しい。
でも医療器具は揃っている。
技術的には出来る。
あとは肝動注に使う際の、抗がん剤の容量をA病院から聞く必要があると。
ハードルは高いけど、出来るだけの事はすると言ってくれました。
私達は。
最後の最後まであがく事を心に決めたのです。
さっさん(男性)
アバスチン+mFOLFOX6療法の6回目を開始する日。
これまで発生した副作用として主なのは以下。
・末梢神経障害による手足の痺れ。
・吐き気、嘔吐。
・倦怠感
・脱毛
・鼻血
・幻聴?(これは副作用ではなく精神的な物かも)
最も恐ろしい骨髄抑制は今のところ気配無し。
白血球はいつも8000を超えていて、治療の延期などのトラブルは話題にすら上がらなかった。
でも徐々に辛くなってきたのが、末梢神経障害。
季節的にも寒さが厳しくて大変だった。
そして厄介な事に、この副作用を軽減する事が確認されている薬が存在しない。
いくつかの抗うつ剤や漢方薬が効果があるという情報もあるが、実証されているわけではないというのが実態のようだ。
小野允雄さん(男性)
「これは後でわかったのですが、このとき、がんはすでに大網や盲腸にも転移していて、4カ所に17個も腫瘍(腹膜播種)があったんです。でも、ダグラス窩以外にも転移があったことを私に言わないようにと、妻が先生に頼み込んだらしいんですね」
診断結果は、ステージ4、デュークスDの進行がん。肉眼で確認できる腫瘍はすべて切除されたが、目に見えないがん細胞が腹膜に散らばっている可能性は高い。手術後、赤須医師が妻と2人の娘に告げた内容は、衝撃的なものだった。
「おそらく、3カ月以内に再発する可能性が高い。もし再発すれば、2、3カ月しかもたないでしょう。5年生存率は0パーセントです」
──積算すれば、余命半年。あまりにも過酷な現実に、家族は打ちのめされた。だが、小野さんには事実を伏せ、あ
くまでも明るく振る舞おうと決めた。
引用元:末期の転移性大腸がんから生還を果たした弁護士の苦悶とは がんと真剣に向かい合う、そのプロセスこそが尊い | がんサポート
小野允雄さん(男性)
4月1日、内科医のもとで、5-FU(*)+ロイコボリン(*)による化学療法がスタート。毎週日曜の夕方、青森から飛行機で東京に飛び、翌日、抗がん剤の点滴を受けてから帰宅。吐き気や口内炎、倦怠感などの副作用に苦しみながらも、小野さんは仕事と治療の両立に務めた。
とはいうものの、弁護士という仕事は片手間でできるものではない。依頼人の運命を左右する仕事だけに、気力・体力の消耗も人一倍激しいのが現実だ。
「裁判の期日が迫ってくると、どんなに苦しくても、今さら『間に合いませんでした』とは言えない。それが1番つらかったですね。そこで、前もって少しずつ仕事を進め、負担を軽くするよう工夫していました」
一方では、仕事を続けたことが、闘病生活を乗り切る上で大きな力となったのも事実だった。仕事に没頭している間だけは、病気のことを忘れられる。それが心の支えになったことは否定できない、と小野さんは語る。
引用元:末期の転移性大腸がんから生還を果たした弁護士の苦悶とは がんと真剣に向かい合う、そのプロセスこそが尊い | がんサポート
harukaさん(女性)
痛みで
身体が思うように動かず
今は、起き上がれなくなりました‼
こわい…。
こわいよ。
こわい…。
痛みで もがきながら
昨日 病院に電話して、
着いたのは、今朝2時頃‼
麻薬 オキノームを飲んでも
コントロールできない。
はぁ。
どう生活してたら良かったんだろ???
harukaさん(女性)
大腸ガンは、特に食事に気をつけないと。。
大腸ガンの原因で調べると
食生活の乱れ ストレスだとか。。
今までの、私の生活は、
確かに、ちゃんと食事に気をつけては なかったな
和食が大好きだけど、お酒を飲む事も好きだったから、味の濃いもの 辛いもの 大好きだった。。
仕事的にも、お昼の時間が決まってないから。
お腹空かないように
朝と夜どか食いしたり。。早食いだったり。。
今じゃ、怖くてできないっ‼
harukaさん(女性)
今回は、けっこう気持ち悪い。
6クール目から副作用が強くなってきて
身体の中に蓄積されてる感じ。。
髪も薄くなって、
ムーンフェイスになって、
とにかく上半身の浮腫みぱんぱん。。
へんなのーーー‼
後2回 頑張る‼
がん細胞さん。いなくなってますよーに。。
178さん(女性)
私の体の中にある癌は肝臓のは少しだけ小さくなっていました。
でも腹膜のと肺のはほぼ変わらないそうです。
大きくはなってないみたいですが。
先生が言うには、全然悪い結果ではないと。
引き続きイリノテカンも続けていきます。
でも現状だと、やっぱり手術ができる段階まで持っていくのは難しいそうです。
いま、抗がん剤8回終わったんですが、それ以降にこれ以上ガンが小さくなることはないそうです。
腫瘍マーカーは前回より少しだけ上がっていましたが、それは大した変化ではないそうです。
やっぱりわたしはこのまま死ぬまで永遠に抗がん剤投与していかなきゃいけないの?
仕事復帰どうするかみたいな話も少ししたら、
自分が何に時間を使いたいか考えたほうがいいって。
仕事じゃないことに時間を使うのもいいと思うよって。
やっぱりわたしは仕事復帰しても仕方ないの?
もうすぐ死ぬの?
前向きに治療頑張ってきたつもりだけどやっぱり全身に転移したガンはもう治らないの?
わたしはどうすればいいの?
178さん(女性)
また入院です。
再発予防のための抗ガン剤治療が始まります。
今後は通院で治療していく予定ですが、副作用などを見るために初回だけ入院しなければいけないようです
私が使う抗ガン剤は、オキサリプラチンと5-FUという点滴療法になります。
抗ガン剤は末梢静脈からは投与できないので、鎖骨の下あたりにポート?というのを作って点滴を埋め込んで投与します。
オキサリプラチンは2時間くらいだけど、5-FUは46時間持続投与が必要なので、通院になったら自分で針を抜くらしい
先生曰く、
最初は大変だけどすぐ慣れるよ〜
とのこと
2週間に1回、この2種類を投与します。順調に進めば半年程で終わる予定です。
5-FUの他に、ゼローダという飲み薬の選択もあったのですが、こちらのほうが副作用が強く出る可能性があることと、辛くなった時に飲み薬だと調整しにくい、ということで5-FUのほうを選びました
やはり気になるのが副作用ですが…
抗ガン剤の副作用は人によって全然出方が違うようです。
脱毛や吐き気、肌荒れ、口内炎、手足のしびれ、下痢などなど、、
抗ガン剤というと、髪の毛が抜けてしまうイメージでしたが、大腸がんの抗ガン剤治療は比較的髪は抜けにくいそうです。
とはいえ絶対抜けない確証はないわけで…
やっぱりつるっぱげになるのは結構ダメージ大きいと思うので、抜けないことを祈るばかりです
出やすい症状は手足のしびれだそうです
冷たいもの(金属の手すりとかも)
を触るとビリビリしたり、冷たいものを食べたり飲んだりすると喉が痺れたりするみたいですどんな症状が出るか分からないけど、ちょっと恐いなぁ、、
なるべく私の体に合うことを祈るばかりです
teketekekazuさん(女性)
明日から抗がん剤が再スタートです。
もちろん、今回3つ現れた影は小さいと先生もおっしゃってるし、また手術で切れる可能性もあるとも言われてて、ガンが消えろ消えろ〜って気持ちで治療していく気持ちではいますが、
保守的な私は、高望みしてショックを受けるのが怖くて、悪い事も考えてしまうのです
今はまだ、肝臓だけの転移だけど、他にも転移してしまうのではないかとか。
このまま、小さくならずに増加して使える抗がん剤が減っていく事や。
抗がん剤がこのままエンドレスかもしれないという覚悟を持った方がいいのか。消えるかもなんて望みを持った方がいいのか。
副作用で身体だけでなくメンタルがやられやしないかとか。
期間が決められて抗がん剤、これからまた頑張っていこうと思ってた矢先の新たな転移だったので、
気持ち的に、やっぱり、すぐに切り替えるのがね3ヶ月あいてからの、抗がん剤再スタートだから、余計にかも💦
先生は考える時間をくれたのに、すぐ始めようと言ったのは自分なのに、まだウジウジしてるんだから、困ったもんですね
何が正しい選択なのか、わからない。。。
すぐに始める事を選んだのは自分。
明日から、また、頑張れ私!!
teketekekazuさん(女性)
10時頃に吐き気どめのイメンドカプセルを内服
①吐き気とアレルギー予防の点滴30分
②分子標的薬ベクティビックス1時間
③生理食塩液1時間
④フルオロウラシルの効果を高めるレポホリナート+抗がん剤イリノテカン2時間
⑤抗がん剤フルオロウラシル530mg(15分程で終わる)+抗がん剤フルオロウラシル3200mg(46時間)
今は⑤のインフューザーポンプをぶら下げていて、14日(木)の13時半くらい終了予定です
投与終了したら、退院となります
そして副作用ですが、私の体にどんな異変が出たりするんだろう??
正直、不安でした💦
ちょっと気になったのは、途中、ベクティビックスの時かな?なんだか、手とかチクチク?ピリピリする感じがありました。でも、一瞬?持続はしなかったのでとりあえずスルー
その後、ウトウトした時に、咳があって、またウトウトしてたら、咳っていうのが2回くらい。
これも、ちょっとドキッとしましたが、その後は持続しなかったので、とりあえずこれもスルー
鼻水は少し。発汗も少しあったかな?→暑いだけだったかもしれないけど
イリノテカン中に、眠いというより、頭がぼーっとする感じがありました。めまいに近いかも??
この時は、この状態でご飯は作れないなあ〜とぼや〜っと考えてました
吐き気は今のところなく、抗がん剤始まってから、昼と夜と食べられています
順調と言って良さそうな気が〜
(ポートの傷も痛み止め飲まなくても大丈夫そうです)
といっても、湿疹だったり脱毛だったりは来週あたりから現れそうな感じだし。
1回目より、2回目3回目と続けていくと、副作用が出やすくなるのもあるだろうし。
まだまだ始まったばかりです
Rikoさん(女性)
本来でしたら、手術後一か月後に抗がん剤をする予定でした。
実際一か月の時点で1.3倍に肥大していて、医師から確認されていたのですが、
ガンの肥大よりなにより、思い残すことやり残したことが
ある方が嫌でGW明けにしてもらいました。
おかげで引っ越しも終わり、いろんな人と会うことができました
これからやる予定の薬は【点滴一回、投薬二週間、休薬一週間】の
三週間ワンセットの抗がん剤です。
二か月後から働きながらもできるタイプとのことで、
私も同じくらいからちょっとずつ動いていければと思っています。
9月か10月には緩和ケアか手術の決断日がきます。
どちらになるか今のところ五分五分と言われています。
最後の日が五年か二年半か半年か先はわかりませんが、
この先も自分らしくあることができればと思います。
手術できてもできなくても年明けには一度は社会復帰したいです(*´ω`*)