このページでは大腸がんステージ4の生存率と転移・再発についてご紹介しています。
参照元:藤田 伸、島田安博(2011)『国立がん研究センターのがんの本 大腸がん』小学館クリエイティブ.
参照元:福長洋介(2016)『よくわかる最新医学 大腸がん』主婦の友社.
大腸がんは、がん全体の中で予後が良いとされています。しかし、ステージ4になると話は別です。ステージ4になると肝臓や肺、腹膜などへ転移していることが多いため、5年生存率は結腸がんで18.8%、直腸がんで20.8%となっています。
これでも、胃がんの7.3%、肝臓がんの3.3%よりも圧倒的に高い数字です。
※ここで紹介している生存率は、「5年相対性生存率」と呼ばれるものです。性、年齢分布、診断年が異なる集団において、がん患者の予後を比較するために、がん患者について計測した生存率(実測生存率)を、対象者と同じ性・年齢分布をもつ日本人の期待生存確率で割ったものを相対生存率といいます。
ステージ3の5年生存率は82.1%なので、60%以上も生存率が下がってしまいます。ステージ4は、がん細胞が他の臓器に転移している状態であるため、基本的に手術が難しい状態です。病巣がいろんなところに散らばった状態であるため、どれか1ヶ所を切除できたとしても予後が大きく改善される可能性は高くありません。そのため、生存率は低くなっています。
大腸がんの場合、元々がんのあった部位付近で再発することもあれば、原発巣から遠く離れた臓器で再発する可能性があります。
大腸がんの再発部位と再発の起こる割合は以下の通りです。
再発部位 | 再発する割合 |
---|---|
肝臓 | 7.1% |
肺 | 4.8% |
がんのあった部位の近く | 4.0% |
がんを切除した断面 | 0.4% |
その他 | 3.8% |
合計 | 17.3% |
大腸がんの中でも結腸がんよりも直腸がんのほうが再発しやすいようです。再発の早期発見、予防のためにも定期検診はしっかりと行うようにしましょう。
ステージ4でも状態はさまざまなので、他の臓器に転移しているからといって必ずしも「末期がん」とは限りません。大腸がんが遠隔転移する場合のほとんどは、血液の流れに乗って転移します。大腸がんは肝臓に転移しやすいのが特徴。そのほかにも肺や骨にも転移する可能性があります。
大腸がんが臓器へ転移する確率は以下の通りです。
肝臓 | 10.9% |
---|---|
肺 | 2.4% |
腹膜 | 4.5% |
骨 | 0.4% |
肝転移
大腸は特に肝臓に転移しやすいですが、初期のころはほとんど症状が現れません。進行が進むと、全身倦怠感や食欲不振、黄疸などの症状が現れるようになります。
肺転移
肺に転移した際には咳や胸痛、血痰、息切れなどの症状が現れます。胸水がたまると、呼吸困難や発熱などがみられることもあるので注意が必要。
骨転移
大腸がんが骨に転移すると部位に痛みを生じたり、少しの衝撃で病的骨折を起こしたりすることがあるようです。
森島俊二さん(男性)
森島さんは今後の治療方針について意見を聞くため国立がん研究センター中央病院を訪れた。
肝胆膵外科医によるとそのリンパ節は太い血管の近くにあるため手術はできないという。
相模原市の総合病院と同じ意見だった。
今後は、直に及ぶ抗がん剤治療のみとなった。
この頃の森島さんはとても弱気になっている。
なぜなら黄だん症状がでた大腸がん患者について調べるが、5年生存率は高くない。
たまらず医師にぼやいた。
「先生、(私のように)ステージ4だと5年生存率が15%と書いてあるんですが...」
即座に反応した医師は強くはっきり言い返した。
「君は君なんだから、他人とは違うんだから。
世間一般の数字なんか気にすることはないじゃないか!」
そう言われ嬉しかった。
「人は人。
自分は自分」そう思うように決めたときだった。
Tomさん(男性)
最も気になるのは生存率だが、ステージ2までは90%以上、ステージ3になれば70%程度、但し遠隔転移があってステージ4になると10〜20%まで極端に悪化する。
転移がなければ大丈夫。
いきなりステージ4の人は腸閉塞寸前とか自覚症状あることが多い。
自分には自覚症状がないのだからまさか転移はしていないだろうと思っていた。
運も強い方だと思っていた。
そして、10:00から結果説明。
胃カメラには軽い炎症はあるが問題ないとのこと。
そしてCTの説明。
肺転移があった。
CT画像にボンヤリとした白い点が見える。
これがガンだそうだ。
衝撃は、ガン告知の時以上だった。
なまじ調べて、「これだけはマズイ。
」と思ったものになってしまった。
医者は気まずそうに淡々と説明し、最後にステージ4を告げると、病院内の外科の先生を紹介してくれた。
但し、午前中は手術があるので午後3:00に行ってくれとのこと。
一度帰って出直すことにする。
mimiさん(女性)
『あなたは1ヶ月後に死にます』。
癌の統計学からわたしにも数が与えられるのは時間の問題でした。
この時、すでに異質な大きさにまで増大した腫瘍により、腹部は妊婦のように膨れ上がっていました。
(実際に医師にも驚愕されるほど、ひどい膨張率でした)
心臓に浮腫がみられ、呼吸も難しい。
呼吸が出来なければ、必然的に死にます。
死。
死ぬ、ということ。
『数が与えられる宿命』をわたしはひしひしと感じておりました。
重苦しくて悲しくて悔しい気持ち。
真っ暗闇のどん底に落下した気分。
まだ感じない壮絶であろう痛みや苦しみを恐れる気持ち。
明日を恐れてしまう、いま。
しかし、気持ちは少しづつ前を向こうと立ち上がり始めていました。
彼の笑顔。
娘の笑顔。
家族がモチベーションになりました。
これから聞くかもしれない、おどろおどろしい宣告に立ち向かってみせるぞ。
わたしは、微力ながらこころの準備を整え始めていきました。
焦る気持ちをうまくコントロールしながら生活をしておりました。
(実際にはうまくなんて出来ませんでした。
毎日、折れそうになるこころをどうにか折れないようにしていただけだったと思います。
わたしは強くなんてありません。
むしろ、弱い人間です。
強くなってきている、と今は自負します 癌がわたしに、強くするきっかけを作ってくれたんだと思います)
さっさん(男性)
朝起きていてもたってもいられず、告知を受けた病院のY先生に相談に行った。
昨日が初対面だったが、何とかしてくれるオーラをY先生に感じていたのかもしれない。
J大学病院を勧めていたのも気になるし。
Y先生は他の患者さんの検査中だったようだが、検査の途中に席を外してきたのか
「3週間後ですか。
それは遅いですね!何とかならないか確認してみます。
」と言って、
颯爽と検査に戻り、まだ突如現れ
「J大なら早く手術できそうです!
ちょっと待っててください!」と言って、まだ検査に戻っていった。
検査を受けられていた方、すいません。
Y先生はJ大学病院の非常勤をやっていてコネクションあり。
J大学病院なら1週間ほど早く手術が出来るかもしれないとの事で、2日後に診察の予約を入れてもらった。
しかも何とY先生とJ大学病院で待ち合わせをすることに!
教授と橋渡しをしてくれるそうだ。
たかが1人の患者に手厚くしてもらって本当に有り難かった。
これが奇跡が起こるきっかけになるかもしれないと本気で思った。
既に心はJ大学病院。
早速午後に下見に行っちゃった。
大学病院って立派だねえ。
ドラマでしか見たことない豪華な作り。
最高の医療を受ける事が出来る。
ステージ4の5年生存率がなんだ!
もっと妻は生きる。
そう信じていた。
さっさん(男性)
既に妻は大腸癌、多発性肝転移、肺転移という診断を、告知があったK病院のY先生から受けている。
治療方針についても食事を取れるようにするだけの暫定対処として、大腸原発切除、その後抗がん剤による全身療法しかないとして、完治は望めない事も言われている。
でも。
認めたくない。
セカンドオピニオンじゃないけど、違う病院の違う先生に診てもらったら、何か違う見解があるんじゃないかと期待した。
Y先生と待ち合わせし、教授先生とはすぐ会えた。
2,3時間待ちが当たり前の中、すぐ診察をしてくれたのは有り難かった。
それだけ妻の状態は悪いという事かもしれないけど。
教授先生からは詳しい説明は無かった。
既にY先生が診断している通りである事、これからJ大学病院での検査次第である事、この一点だった。
期待は外れ。
しょうがない、納得するしかない。
gigaさん(男性)
44歳である日、突然ガンになりました。
みなさんそうですよねぇ。
事の始まりは2014年11月胃の辺りに痛みが発生し、その後左下腹部からみぞおち、背中にまで激痛がありましたが仕事が忙しくかかりつけのお医者さんに行ったの年が明けて1月15日、その後、総合病院で検査を勧められてガン発見になりました。
内視鏡検査後に治療計画が決まるのですが時すでに遅く横行結腸ガンは大きくなって便はおろか、水が通るのもしんどい状態でした(汗)
すぐにオペの日取りが2週間後に決まって仕事に復帰しました。
検査後診察室に入って検査結果を聞きにくと
肝臓に4個から5個、1つはゴルフボールくらい
の多きさでした。
そしてリンパ転移。
説明を一通り聞いてドクターに質問したこと。
自分) 何年生きれますか?
ドクター) 24ヶ月から36ヶ月くらいです。
自分) 50歳までは無理?
ドクター)
今は抗がん剤が進歩してます、幸い体調ガンは薬の効き目が期待できます、がんばりましょう。
なんか頭に言葉が出てこないので挨拶して診察室
を出て帰路へ。
。
帰りの車を一人で運転しながら思ったこと。
嫁さんになんて説明しよー。
こまったなぁ。
これがガンが確定した日の記憶でした。