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大腸がんステージ4・希望を捨てずに立ち向かった結果

大腸がんの転移で一番多いのが肝臓。ここでは、大腸から肝臓へがんが転移した40代男性の闘病記を掲載しています。

2回連続便潜血検査が陽性に

最初にがんだと告知されたのは2010年・45歳のことでした。実はその前の年も便潜血検査で引っかかっていたのですが、まあ何かの間違いだろうと思って放置してしまったんです。

翌年も同じように検査に引っかかりました。それでも自覚症状がなかったので、それでも何かの間違いだろうなあと思ってました。これが家族の検査結果だったら「絶対に行け!」と言うのに、自分のことになると腰が重いのはなんでですかね(苦笑)。妻にポロっと話したところ、すぐに再検査に行け!とドヤされて、その場で予約を入れさせられました。自宅近くのクリニックに行って血液検査などをしたのですが、「貧血の数値がひどい」と言われ、大きな病院に回されることになりました。

検査は内視鏡でした。内視鏡を操りつつ、モニター画面を見ていた医師が息を飲む瞬間がわかって、「あ、もしかして」と背筋に冷たいものが走ったのを覚えています。大腸内視鏡検査のあと、腹部のレントゲンを取り、1時間半ほど横になって休んだ後に診察室に呼ばれました。

「今日取った組織の検査結果は1週間後に出るのですが、おそらくがんであることは間違いないでしょう。手術が必要になりますので、もしご希望の病院があるようでしたら、考えておいてください」

いい話ではないのはわかっていましたが、ハッキリ言われると、ショックでした。まず、家族になんて言おう、息子も娘もこれから大学受験でお金がかかる…仕事はどうしようか…。そんなことをグルグルと考えていました。

確定診断が出るまで

うちは妻と、私の母と、息子と娘がおります。まず、夫婦の寝室で、妻にだけ話すことにしました。

「どうやらがんみたいなんだ。1週間後に詳しい検査結果が出る」

お互い、5分は黙っていたような気がします。僕が長く感じていただけかもしれませんが…。妻は顔をあげて、「お金のこととかは心配しないで体を治して」と言ってくれました。うちは妻が専業で、体が悪い僕の母を家でみてくれていたので、働くことはできません。それでも、力強く言い切ってくれたことで、少し安心しました。

妻と相談して、検査の結果が出るまでは家族には言わないことにしました。万が一何もなかったときに、不要な心配をかけたくなかったのと、その万が一に賭けたいという思いがあったんだと思います。

その賭けには、1週間後に見事に負けてしまいました。「進行性の大腸がんです」と言われ、希望した大きな病院への紹介状を渡されました。夜には妻に報告し、とりあえず手術が決まるまでは家族には話さないと二人で決め、。

週明けには国立病院へ行き、大腸がんの特徴や治療方針、腹腔鏡手術になる旨の説明がありました。ただ、このときはもう年末だったので、とりあえず出来る検査を年内に行なって、こぼれた分は年明け、手術も年明けになりました。「正月もないなあ」とがっくりしたと同時に、「どうやって会社に報告しようか」ということを考えました。年末の忙しい時期に引継ぎとかできるのかなとか。こういうときって意外と冷静になってしまうものですね(笑)。

休職、手術、そして人工肛門(ストーマ)

結局、翌日にありのままを上司に話すことにしました。「困ったな」と言われたものの、「とにかくゆっくり治せ」と言われ、年始から2か月間、休職することに。息子と娘には、同じタイミングで妻から話してもらいました。深刻にならないよう、気を配ってくれたようです。母には、がんだということは伏せて、盲腸で手術するということにしました。

というのも、母は高齢出産で僕を生んだので、すでにかなり高齢で、ボケてはいませんでしたが、心身ともに弱っている状態でした。一人で出かけることもできないので、家族が話さない限り、真実を知ることはありません。余計な心配をかけたくなかったのと、僕も自分のことに集中したかったので、母のことを慮っている余裕もないだろという本音もありました。

年末から年始にかけて、ありとあらゆる検査をして、年明け1月10日には手術を行いました。大腸の3分の1を切除する手術で、約6時間ほどかかりました。

「がんはしっかり切除できましたよ。転移もありませんでした」と言われて、安心しましたが、大変だったのは、その2日後でした。お腹にこれまで感じたことのない激痛が走り、体が勝手に震えだしました。ちょうどその時病室にいた妻によると、「寒い寒い」と言って、歯をガチガチ鳴らしていたかと思えば、急に「暑い!!」と叫んでいたようです。僕はまったく記憶にないのですが…。

妻がナースコールをし、病室がバタバタと騒がしくなりました。緊急検査し、腹膜炎と診断され、開腹手術が行なわれました。このあたりもまったく記憶にないのですが…。僕が意識を取り戻したのは、ICU(集中治療室)。

そこで自分のお腹を見て、ビックリしました。横腹がビニール袋でおおわれている…人工肛門でした。さすがに最初はショックを受けたのですが、大学時代の友人が長年クローン病で、3年ほど前に人工肛門をつける決意をし、見舞いに行ったことや、その後も飲みに行ったりして話を聞いていたこともあり、比較的冷静に受け止められました。扱い方さえ間違えなければ大丈夫だと、知っていたので。人工肛門になって、まずしたことはこの友人にメールをしました。「仲間になったぞ」と(笑)。

退院してたったの2週間、まさかの転移

腹膜炎の手術から3週間後に退院し、自宅で仕事復帰に向けた準備をしていました。2週間たったころ、朝方急にお腹が痛み出しました。病院に行くと即再入院。CTレントゲン検査、MRI検査、PET検査もしたでしょうか。その間は絶食で点滴生活…5日間で5kgほど体重が落ちてしまいました。腹膜炎がどうにかなった?大腸がんの取り残し?そんなところだろうかと思っていましたが、担当医から告げられたのは、思いもよらないことでした。

「おそらく肝臓に転移しています」

大腸がんの告知も、腹膜炎も、人工肛門ですらそれなりに冷静に受け止められたのですが、転移の告知には頭が真っ白になりました。一緒に話を聞いていた妻はただただ泣いていました。肝臓の先生が来て、今後の治療方針が伝えられました。肝臓がん手術前に3ヶ月、FOLFIRI(フォルフィリ)療法(※1)をするというものでした。大腸がんの手術では抗がん剤治療がなかったので良かったのですが、毛が抜けたり、副作用が辛いというイメージしかなく…。

会社にまた手術することを伝える…、もうさすがに母に隠しておけない…、考えるだけで憂鬱になりました。会社は上司がかけあってくれて病欠扱いに、母には、自分が入院しているので妻に話してもらいました。その時の様子などは、妻も僕に気を使ってか、話してきませんでしたし、あえて聞くようなこともしませんでした。子どもたちはすぐに病院に来てくれて、励ましてくれました。息子は大学受験の個別試験日程が迫っていたので、「絶対合格するから絶対治して!」と約束しました。娘も反抗期だったのですが、このときはさすがにしおらしかったです(笑)。

死にたいとさえ思った抗がん剤治療

抗がん剤治療が始まってすぐに世界がグルグル回るかのような吐き気に襲われました。座っても横になっても、目をつぶっても襲ってくる吐き気。事前に吐き止めを点滴したにも関わらず、です。食事をとることはもちろん、水分を補給することさえままならず、そんな状態が1週間ほど続きました。退院が迫っていて、退院後は自分で抗がん剤を摂取しなければいけなかったのですが、絶対に無理だろうと思うほどつらかったです。

退院してからも、口中にできる口内炎、2週目くらいからは脱毛も始まりました。手足もしびれてきて、体の中で思い通りになる箇所なんて1個もなく、いっそ死にたい、殺してくれればいいのにと毎日のように心の中で叫んでいました。何度ももう治療をやめてしまいたいと思いましたが、妻が悲しむ、家族もいるんだ、定年退職したら好きな鉄道に乗りまくる夢だってあるんだ…と言い聞かせて、なんとか3ヶ月生き延びて(生き延びたという表現が正しいと思えるレベルでしんどかったのです)手術の日が来ました。手術ができるということよりも、抗がん剤治療が終わったんだという喜びのほうが大きかったです。

念願の仕事復帰。健康のありがたみを知る

この手術で肝臓のがんも、人工肛門も取れ、最初の大腸がんの告知から半年ほど経過していました。再手術から1ヶ月経って、やっと退院。この頃には「早く仕事がしたい」と毎日のように思っていました。がんになる前と同じというわけではありませんが、仕事ができるありがたみや、健康の大切さを本当の意味で実感したんですね。なぜ最初に便潜血検査で陽性が出たときに再検査に行っておかなかったのか、闘病中は何百回、何千回と後悔しました。今は手術から2年、まだまだ油断はできません。

これを読んでいる人には、絶対に検査に行ってください、要再検査の人はすぐに行ってくださいと伝えたいです。あんな抗がん剤治療をするくらいなら、検便だろうが胃カメラだろうがバリウムだろうが、いくらでもやりますよという感じです(笑)。

※1 FOLFIRI(フォルフィリ)療法とは…フルオロウラシル(商品名:5-FU)とℓ-ロイコボリン(商品名:レボホリナート)を組み合わせた治療に、イリノテカン(商品名:イリノテカン)を同時併用する治療であり、切除不能・進行再発大腸がんの標準治療のひとつです。
参考:国立がん研究センター中央病院 消化管内科グループ・薬剤部・看護部「FOLFIRI療法の手引き」[pdf]